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卒業生は今

 

僕は13期卒業の海野芳彦と申します。先月寄稿文を書いた卒業生が第62期卒業生。

13期から62期。うーん、長い、いやアっという間。あれから49年の歳月ですか・・・・。

昭和38年、僕が高校2年生の時同級生仲間と当時の里見教頭先生にお願いをして吹奏楽部を設立しました。

卒業後は農大造園学科へと進みましたが、やはり仲間と音楽活動にいそしむと共に、個人邸の管理や焼き芋屋、土建業やゴルフ場づくりのアルバイトに精を出していました。

 

大学卒業後は川崎市に奉職し、様々な公園緑地の設計に関わってきましたが、学生時代でなければできない活動はアルバイトを含めてとても大切な経験となりました。そういえば我が娘が大学4年生の時、社会に出たら出来ない事をしたいと世田谷の上祖師谷で豚を飼っていた同級生宅に無報酬で通っていたこと、僕が創作した庭(石庭)で芝の管理に農大造園学科の女子2名が関わり、彼女たちが地下足袋を履いて頑張っている姿を見て思わずカッコウィーっ”と言った思い出など、学生時代にしか味わうことのできない純粋な気持ちを思い出しました。

 

今年は川崎市制90周年、麻生区千代ヶ丘小学校創立40周年、我が森もりクラブ(緑のボランティア)は10周年という節目の年。森もりクラブでは千代ヶ丘小学校に鎮座する五色八重散椿(樹齢約250年)を6年生全員で挿し木にチャレンジし、卒業後は自宅の庭やベランダで育て地域に広めていただくイベントでした。蛇足ですが、この椿は京都の地蔵院、通称椿寺に在り、豊臣秀吉が朝鮮に派兵し加藤清正が土産に持参したと言われる秀吉遺愛の名木で、僕が28歳の時にその子株を麻生区金程で発見し現在地に移植したものです。

 

60歳で退官後、庭造りや緑のボランティア、3年前の震災で影響を受けた福島の老舗旅館(松柏館)で樹齢150年を超えるヒムロ杉(高さ13メートル)を手入れさせていただいたこと。その一つひとつが人生の思い出作りにつながっていると思うと、あの頃の農大一校時代が僕の原点であり、懐かしく幸せな青春が思い起こされてなりません。 ではこのコーナーの続きをよろしくどうぞ。

 

第13期卒業 海野芳彦