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卒業生は今

 

 はじめまして、平成元年(第37期)卒業の井上 謙と申します。

 

  一高を卒業して早くも26年という月日が流れていることを、今回「卒業生は今」でご挨拶をするにあたり、改めて感じております。私自身は、卒業した当時から何も変わっていないと思っておりましたので、確実に年を重ねているにも関わらず、精神年齢だけはいまだに成長していなかったんだと痛感しているところです。

 

 今回は、私と一高とのつながりについて、当時の様子を踏まえながら、少しお話ししたいと思います。  

 

 私が農大一高へ通い始めたのは、まだ昭和と呼ばれる時代でした。昭和というと激動の時代ともいわれており、社会的にもいろいろなことが起こった時代でした。私の高校生時代はそのような時で、高校卒業とともに、昭和も終わりを告げています。通学で利用していた経堂駅も準急と各駅停車しか止まらない長閑な雰囲気があり、学校へと続く農大通りを一高生がゾロゾロと歩いていく風景は、朝の風物詩ではなかったかと思います。神奈川の西部より通学していた私は、東京の学校へ通えるということに浮かれており、大人の人たちに潰されそうな満員電車に揺られながら、2時間近くかかる通学時間をそれなりに楽しみながら通っていた思いがあります。通学という名の旅でした。さすがに2時間近い通学時間は、私にとって移動図書館のような存在で、テスト前には随分と有効利用したものです。現在では、小田急線の複々線化や車両の増設、経堂駅への急行電車の停車など、より快適に早く都心へつながる環境が整ってきており、東京という大都会が身近に感じられるようになりました。便利になることはありがたいことですが、旅(通学)の楽しみが減ってしまった気がして、少々残念な気持ちを感じる時があります。

 

  そもそも、私が農大一高へ進学したのは、東京の学校で勉強をしたいという気持ちもありましたが、ゆくゆくは農大へ進学したいという気持ちもあったからです。当時の一高では、農大へ進学する人がほとんどでしたので、推薦をいただくために良きライバルとして級友と過ごしていました。農家にとって農大は東大のようなもので、私が農大へ通っていた頃は、近所の人から度々称賛を浴びたほどでした。農家の息子として一高から農大へと進学しましたが、実のところ農学を学ぶことが目的ではなく、自然環境学について学ぶためでした。学問の範囲は広いですが、私が求めたのは私たちを取り囲む自然の中で生活している動植物を知り、自然の中で人間がどう共生していくのか、さらには自然災害によって破壊された生態系を如何にして復元・回復させてしていくのか探求することでした。私の実家は今でも自然が多く残る地域であり、そのような中で生活していた私の中に、いつのまにか自然に対する思いが増していたのだと思います。その後、同大学院へ進み、1年間の農大勤務(副手)を経験した後、自然環境との関わりを扱う会社へ就職し、現在に至っております。社会人となって、今年でちょうど20年が経ちました。まだまだ足りないことや失敗をすることもありますが、日々精進しながら、挫けずに毎日を過ごしております。

 

 話は少し逸れますが、就職してほどなくした時に上野の居酒屋で「兄さん出身校はどこだ?」と尋ねられたことがあり、「農大です」と返答したところ、「うちの息子は農大一高だった」と教えていただき、「私も一高出身です」と明かすと、嬉しそうにお酒をご馳走してくれたことがありました。それ以来、一高の卒業生であったことを心より喜び、今は誇りとしております。世間には、母校を愛し応援してくれる先輩方やその家族の方々が多くいることを心に刻み、頑張っていってほしいと思います。

 

  そのような中、一高とのつながりは今でも強く、入学以来利用していた経堂駅を現在も利用し、桜丘の地に今年で30年間通い続けております。今の私は一高同窓会の一員として、微力ながらも一高生や学校のためにと、先輩方と一緒に同窓会活動へ参加させていただき、一高のますますの発展を夢見ております。最近では、同期生と一緒に桜花祭へ洋菓子店を出店し、同期生とのつながりを広げる活動も行っています。

 

 思い起こせば、卒業式の日に(故)浮田 新次郎先生(一年次の担任)より「同窓会の評議員へ推薦しておいたので、これからも一高のことをよろしく頼みますね」とお言葉を頂きました。その一言が当時の私にはとてもうれしく、母校のために頑張ろうと決意をしたことをしっかりと記憶しております。今となっては直接お話しすることは叶いませんが、空の上から「よく頑張ったね」と言っていただけるよう、これからもしっかりと活動に参加していきたいと思います。 一高も新校舎へと建て替わり、私が通っていた当時の様子からは少しづつ変わってきておりますが、教室より眺めた満開の桜は、今も同じところに立ち、あの頃と同じように美しく咲いてくれています。これからもこの桜を見るため、一高へと足を向け、私を育ててくれた思い出のある母校へ恩返しができたらと思っております。

 

井上 謙